牛丼騒動から、思考の放棄について考える
私も、牛丼は好きでよく食べています。
ところで、11日のマスメディアの騒動ぶりは何だったのか、いまもって不思議です。ひとついえるのは、「ことの重要度」について伝える側、受け止める側双方の認識が間違っているということです。
もっと大事なことはいまの日本に多く控え、現れています。細かくはあげませんが、最近の(特に民放の)ニュース番組(とりわけキー局のもの)は、ほとんど「ワイドショー化」しています。おそらく、90年代半ばからだと考えられますけれども。
なかにはひとつの問題を長く深く掘り下げた良質な特集を組む番組もありますし、視聴者から広い支持を受けるものがあることは認めます。かつて、テレビの普及に際して苦言を呈した評論家がいましたけど、残念ながらそうなりつつあることに失望感を抱きます。
スポーツの実況中継よろしく、「いま、最後の一杯が出ました」。ばかばかしくて笑うこともできませんでした。
ここで、「思考の放棄」について考えてみます。
現代の日本人ほど、「考えない」人間はいないのではないかと、私は思います。
先日、駅の喫煙所でない場所でたばこを吸っていた客と、それをとがめた客が殴り合い、列車が遅れるという事件が大阪で起きました。きょうは病院へ行きましたが、院内で携帯電話を平気で使っている患者が相変わらず多いのもあきれました。飛行機に乗るときは墜落が怖いからほとんどの人が電源を切るようですが。といってもトラブルが多いため、航空法改正につながったわけですけど。
これらは、「周囲のことを考えていない」という当事者の思考の欠如から来るのではないでしょうか。先の事件のように、正義感がある人や、従業員が注意をすると短絡的にいわゆる「逆ギレ」を起こす短絡思考(≒思考の放棄。簡単に言えばわがまま)も、この国をだめにするひとつの要因ではないでしょうか。
「綱引き」をされたことがある方は多いと思います。「自分ひとりが力を入れなくても、きっと勝てるだろう」。そう思われたことがある方はいませんか?
これこそ「思考の放棄」なのです。
「自分ひとり投票しなくても、どうせ世の中は変わらない」とうそぶく有権者がいます。「思考の放棄」と同時に、「選択の放棄」もしているわけですが。
二つたとえを出しました。言いたいことは、
「あなたが考えなければ、世の中だめになる!」
これです。何も考えず、周りに流され,大勢が決まってから文句を言うなんておかしいです。
本題からそれました。いま、ここで立ち止まり、周囲を見回し、問題点を洗い出し、何をどのように変えれば現状がよくなるか、考えてみませんか。人間が持つ高度な思考を使わないのは宝の持ち腐れです。
そして、自分の行いが正しいかどうかを考えてほしいものです。
今夜は大上段に構えてしまいました。お許しを。
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