2004.07.12

楽しみが義務になると・・・

 ウェブログのライターが、増加するアクセスやそれにまつわるコメントの返事に疲れてしまう現象を取りあげたニュースを読みました。
 読んだ記事は、こちらです。
(出典:Yahoo!ニュース-コンピュータ HOTWIRED JAPAN 2004年7月12日17時10分掲載 ブロガーに蔓延(まんえん)する「燃え尽き症候群」)

 私は日記の代わりにこのウェブログを作成、更新しています。記事を読んで感じたのは、最初のうちは楽しみでやっていたのに、周囲の期待(それが本人の思いこみかもしれないし、実際にあるのかもしれないが)に応えようとするあまり、義務感を覚え重荷になってしまうのではないでしょうか。

 記事中にある「燃え尽き症候群」とは、仕事や義務などに対して過度に順応したり、苦しいと思う気持ちを抑えつけ、苦しみさえ感じられずにいるうちに進行し、ほとんどの場合は突然いままでやってきたことを放り出すことを指します。

(記事から引用)

「書きたいか書きたくないかに関係なく、何か書き込まなくちゃいけないという気になる。」
(引用終わり)

 この一文は、楽しみが義務感に変わる様子をよく書き表しています。
 これと同じような現象は、いまに始まったことではなく、繰り返し起きています。

 電子メールは、現代人に欠かせない「道具」となりました。あくまで道具であり、手段であって目的ではありません。メールを送ること「だけ」にしか気を回せず、かんじんの内容は覚えていないという話も聞いたことがあります。
 「文章を書く」という仕組みそのものが変容し、同時に「文章」そのものが変化したことは事実です。
 こうして私が文章を書いているのは、一種自己満足もあります。しかし、私の考えを明らかにするには有意義な「手段」であると考えています。
 それが「目的」に変質したとき、私の書き込みはとだえてしまうでしょう。

 楽しみが義務になったとき、人は苦しさを感じます。「趣味を仕事にする」と「仕事を趣味にする」は、似ているようで大きく違います。
 この主題は、継続して考えてゆきます。

 野球のことを書きたかったのですけど、さらに書けば長くなるのであすに回します。

【きょうの波模様】
7月12日 曇り 「べたなぎ」
 他人の痛みを自分の痛みとして考えられる人はすばらしい。一日それをかみしめながら過ごせた。教えていただいたみなさんに感謝します。

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2004.06.17

料理の煮込みと議論はじっくりと

 パ・リーグのファンにとって、木曜日の夜は思いをめぐらせるときでもあります。
 バファローズの経営問題が、いつのまにか「1リーグ制」という議論になってしまった気がします。
 これに限らず、最近の日本人がやたらと「結論を早くほしがる」ところから、議論がおかしな方向へ進んだり、議論どころか結論が先に決められて、あとから理由づけのために会議を開くというような、こっけいな話があったりします。
 なにかにつけて、大事な話なのにじっくり考えたり、議論を深めたりという時間や労力のかかることをいやがり、たとえるならシチューを家で食べるときに材料を買って家で調理するのではなく、できあがったものを調達するようなことを平気でやっています。

 シチューなら、まだ大きな問題になりませんけど・・・。

 これが社会の仕組みやあり方を変えてしまうような話だとすれば、ものすごく怖いことです。
 冒頭に書いた「バファローズの経営問題」。これはひとつのプロ野球チームの経営状態が悪化し、現状をよい方向に変えるために別の球団(ブルーウエーブ)へ助けを求めたのがはじまりです。それが、どういうわけか問題点がすり替わり、野球界全体を根底から変えてしまうほどの大問題へ発展させてしまいました。
 政治にしても、重要なことがらを主権者である国民に十分な説明をしないまま変えたり、新しくしたりしています。

 二つの問題の共通点は、「多数のファン=国民」を置き去りにし、一部の人だけで勝手に事を運んでいる。ここにあります。「それはおかしい」という声は、実力者たちの耳に届かず、もっと大きな声にかき消されてしまいそうです。

 なぜ、結論を急ぎたがるのでしょうか。
 準備運動をしっかりやらずに運動すれば、体がけがをすることは知っています。
 議論も、それと同じではないでしょうか。準備をしっかりと行い、議論を尽くしてこそ、多くの人に受け入れられる結論が出るはずです。
 じっくり煮込んだシチューはおいしいです。煮詰めて熟成した味は、多くの人を幸せにします。
 じっくり話し合って得られた結論は、多くの人を納得させます。

 料理だって、すべての人に受け入れられるわけではありません。議論もまたしかり。
 しかし結果(できあがった料理)を急ぐあまり、半端な議論でえられた結論(半煮えのシチュー)をもたらされる(食べさせられる)のは、おいしくないし、問題(たとえば食あたり)を起こすかもしれません。

 どうか、結論を急がないでください。
 間違った方向へものごとが動かないように耳目を傾けることを、私たちは求められています。それが、世の中を明るくする力になります。
 社会に対する無関心が、とんでもない結果を招きます。
 私たちは、かしこいはず。私たちも一度立ち止まり、考えて行動すれば、流れは変わります。それは、現状よりよい方向へ。

【きょうの波模様】
6月17日 曇り一時晴れ 「なぎ」
 新しい仕事の採用試験があさってに迫り、だんだん緊張してきた。

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2004.06.14

情報と準備の不足は皆を惑わす

 「寝耳に水」のバファローズ・ブルーウエーブ合併問題ですが、当事者レベルでもそれに近い状態です。
 一日経過してあらゆる事実がわかってきました。(以下参考:6月14日付中日スポーツ特別即売版B版)
 13日の日中、バファローズ首脳の記者会見がありました。簡単にいえば、「これから話を進める」とのことです。
 親会社である近畿日本鉄道の経営状態は大変苦しく、本業の鉄道は一部路線を売却し、野球以外の文化事業も規模を縮小しています。そのなかで「聖域を設けない」というねらいは、公共の利益につながる鉄道業としてはもっともな言い分です。野球を助けるあまり本業の鉄道の経営が危機に陥っては本末転倒です。

 それはそれとして・・・。
 先の記者会見でバファローズの山口社長は、「(報道先行に)大変迷惑している」との発言をされたようです。なるほど、昨今の報道の先走りぶりは目に余るものがあり、ゆゆしい問題です。
 ところが、球団合併という話を、ペナントレース開催中いきなり持ち出す方もどうかしていると、一プロ野球ファンとしては疑問に思います。来年の日程編成や、協約や法規上の手続きなど、様々な問題を解決するには時間的猶予がないことはわかります。
 バファローズの梨田監督は試合後に社長から説明を受け、ブルーウエーブ伊原監督は球団からの説明は求めていないそうです。(ブルーウエーブの小泉社長は、14日に説明の予定)

 「トップダウン(上意下達:じょういかたつ)」という経営のやり方があります。社長なり経営陣が従業員に対して指示を出し動かすやり方ですが、経営陣が従業員から信頼を得られなければ、企業が企業で成り立たなくなる危険もはらんでいます。いまのバファローズは、それにきわめて近いでしょう。
 選手でさえ今回の話をファンと同じ時期に知ったようです。準備もなにもなく、話だけが一人歩きしてしまっている現状をひとまず止めて、時間はかかってもまず「従業員」である監督・チームスタッフ・選手など直接かかわる人と話をつけ、ファンに対して「合意は取り付けてある」という発表をすべきです。
 人がもっともいらだつ状況は、「情報がほしいときに情報がない」ときといわれます。「報道先行」は、「情報を望んでいる」人が多いことの裏返しではないでしょうか。ミスリードやささいなことも大げさに報じるやり方は排除して、事実をありのまま、情報の持ち主はあらわしてほしいものです。

 この問題が表ざたになって、「従業員」やファンのなかには明らかに不快感を抱いた人がいます。従業員の士気が下がり、ファンが球場へ出かけなくなれば、経営はより深刻な状態へ陥るでしょう。
 すぐできる対策としては、選手とファンの交流を深めることです。きのうライオンズの西口投手は、試合開始前のスタンドでファンとの記念撮影に応じていました。マリーンズでは、主催試合開始前にフェンスの下(一部の内野フェンスが上下する)からサイン色紙を受け取り、ボビーや選手がサインをしています。
 いまからでも遅くありません。セ・リーグがタイガースなら、パ・リーグはバファローズがある。大阪にバファローズありといわせるものを見せてほしい。
 「選手とファンの心理的距離感」が人気に比例します。物理的距離とともに、心理的距離を縮め、一企業の持ち物から市民のものへ発展させてほしいです。
 それがチーム数減という結果につながっても、「市民の球団」が手に入るなら、ファン、すなわち市民は納得するでしょう。
 これは、「1リーグ構想」とは切り離して考えてゆきたいです。プロ野球は、ファンの人気が経営と密接にかかわります。「経営に有利」とばかりに有名球団におもねるやり方では、かえってファン離れにつながります。
 なぜホークスの主催試合は観客が多く入るのでしょうか。どうしてマリーンズの試合は熱心なファンがついているのでしょうか。
 どちらも昔は人気があまりないチームでした。人気上昇の過程に、経営改善の鍵が隠されています。

 (マリーンズ対ファイターズ戦の記事は、2本目に書きます)

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2004.06.13

どうするのか、バファローズよ

 朝起きてびっくり。日経1面に「近鉄球団 オリックスに譲渡交渉 球界再編の可能性」という大きな見出しが出ていました。時事通信も同様の記事を配信しています。
 大要は次のとおりです。
(参考:6月13日付日本経済新聞スポーツ2面:名古屋14版37面)
1 球団譲渡は前年11月30日までに実行委員会とオーナー会議の承認が必要
2 次回の実行委員会は(6月)21日、オーナー会議は7月7日開催
3 オーナー会議での賛成議決は出席者の4分の3以上の賛成が必要
4 賛成議決がえられれば、今シーズン終了後譲渡の構え
5 プロ野球協約で同一企業が複数の球団の保有を禁じているので、譲渡は合併、チーム数減?

 以上が議決までの流れです。ここまでの経緯を簡単に振り返ります。(引用:同紙1面)

 近鉄(引用者注:近畿日本鉄道)は、2000年3月期から4期連続で連結最終赤字(決算) に陥り、(04年3月期は黒字)( 親会社・子会社のような支配従属関係にある企業集団:ここでは近畿日本鉄道と近鉄球団 を単一組織体とみなした連結財務諸表を作成するために行う決算。関連会社についても配慮される。証券取引法により、一定の企業集団に対して要求される。 出典:Yahoo!辞書 大辞泉 提供:JapanKnowledge 一部改変 )02年3月期には無配に転落(引用者注:株主に対して利益である配当金が分配できなかったこと)するなど経営不振が続いていた。
(引用終わり)

 すなわち、親会社の経営不振による負のリストラ策というわけです。過去にも球団そのものや、球団名の売却などを模索しては準備不足で策を講じることができず、かといって決め手になりそうな案もほかに見つからないようです。

 仮に記事のとおり球団売却が実現したとします。
 大要5のとおり、同一企業複数球団保有禁止のルールがあるため、パ・リーグは6球団でなくなる恐れが非常に増します。プロ野球の球団を新たに作ることは、資金や人など多くのコストが必要で、現代ではとうてい実現しないといってよいかもしれません。
 これで現実味を帯びてくるのが、ある球団のオーナーがしきりに提唱する「1リーグ構想」です。現在のセ・パ・両リーグ12球団が、1リーグ11球団としてリーグ戦を行うものですが、構想自体ファンのことなど考えていないものだと私は思います。よくいえばビジネスライク、簡単にいえば「ジャイアンツ偏重への加速」。
 悪い方向に、プロ野球が進みませんように・・・。
 

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2004.06.03

枯れかかった木

 心の寒さを感じずにいられないニュースをよく見聞きします。
 4月には、イラク人質事件に関して「弱いものいじめの国・日本」というタイトルで記事を書きました。そこでも書いたことを繰り返します。

 「まるではやりもののように人をいじめてしまう危険な世の中です。思考を少しでも働かせることができれば、こんなおろかなことができるはずがありません。」

 さらに理解を深めるために、「いじめと『無価値感』」も読んでいただければ幸いです。

 小学生が被害者と加害者になった殺人事件にしかり、高校野球で甲子園にも出場したことがある学校のことでもしかり、興味本位でしか物事を見ることのできない人には、ほんとうにうんざりさせられます。
 物事を木にたとえれば、「本質」が幹であり、それ以外は枝葉(えだは)です。「枝葉末節(しようまっせつ)」ということばのとおり、本質を見ずに枝葉ばかりこだわっていては、物事はよい方向に進みません。

 いま、この世の中は枯れかかった木のようです。この木をよみがえらせるにはどうしたらいいでしょうか。
 私なら、まず木に対して水と肥料を与えます。
 良質な水と肥料を木に与えれば、その木はよみがえります。何年も咲かなかった花が咲くでしょう。その花をめでながら、木のもとで宴(うたげ)を開くでしょう。

 「良質な水と肥料」は、いったいどこにあるでしょう。
 それは、みんなの心にあります。
 枝葉にしかこだわれないのも、みんなの心のなかにあるひとつのパターンです。それはカードの表と裏のように、一体になっています。
 暗くてじめじめした世の中から、明るくてさわやかな世の中に変えるには、みんなの心にあるカードの裏を表にひっくり返すことが求められます。

 古代の人は、火や刃物など、さまざまなものごとを獲得しました。
 これらは、上手に使えば料理が作れたり、衣服を作れたりするなど、多くの恩恵をもたらします。しかし使い方を間違えれば、命を奪う恐ろしい魔物になってしまいます。

 現代の人は、インターネットという、それこそ火や刃物の獲得と同じくらい人類史に残る大きなものを獲得しました。

 古代の人が火や刃物の使い方にとまどったように、現代の人はインターネットの使い方にとまどっているのではないでしょうか。
 上に書いた文章を現代に変えてみます。

 現代の人は、インターネットというものを獲得しました。
 これは、上手に使えば自ら情報の送り手となったり、世界中の情報をその場で瞬時にとらえることができたりするなど、多くの恩恵をもたらします。しかし使い方を間違えれば、命を奪う恐ろしい魔物になってしまいます。

 すんなり変えることができました。
 火や刃物の使い方と同様に、インターネットの使い方、情報との接し方をみんなが学び、体験し、よりよいものに変えていくことが急がれます。
 情報はすべてが真実ではない。かといって、すべてがうそでもない。それを見極めることが、現代を生きる人に共通の課題です。
 こうして、私も情報を発信する人間ですが、発信するからには、できうるかぎりその情報は真実に近づけることが求められます。もちろん、完全な真実というものは存在しえないでしょう。真実でないことを、あたかも真実のように見せかける、それはやってはいけないことです。人の道に反します。

 人にしてもらってうれしいことは、他の人にもしてあげましょう。いやだと感じたことは、他の人にしないように気をつけましょう。

 基本は、ごく簡単なこと。自分の身に置き換えて考えれば、答えはすぐ見つかります。

【きょうの波模様】
6月3日 晴れ時々曇り 「べたなぎ」
 さわやかな一日。あまりのすがすがしい天気にウォーキングを楽しむ気になった。ふだん自転車や車を使うところへ歩いて出かけてみたら、心地よい疲れを感じた。

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2004.04.23

「政治屋」はずるすぎる!

 きょう、複数の閣僚が国民年金保険料の未納を認めました。総理大臣は報道記者に向かって、「うっかりミスだから仕方がない」と、相も変わらず国民を見下し、ばかにした発言をしました。総理や官房長官は60歳時点での国民年金保険料納付について記者団の質問に回答していないとか。やましいことがなければ、はっきり言えばいいのに。いわないからよけいに不信感を招くだけです。

 与党は国民に大きな負担を強いる年金改悪法案を国会で「数の論理というごり押し」によって通そうとしていますが、その「政治屋」が国民の模範になっていないなんて。
 「悪法」でも従わなければならないのが国民の弱い立場です。私は国民年金に加入していますけど、自由加入制度になったら、真っ先にやめます。こんな政治屋だけがおいしいところを持ってゆく制度なんてまっぴらです。

 いまの政治屋は「裸の王様」です。もちろん、国民に向き合って尽力されている議員とはいっしょにしません。悲しいかな、ごく少数ですけど・・・。

 選挙権を持っている人は、次の選挙こそ投票にゆきましょう。私は棄権したことは一度もありません。政治を批判するなら、最低限投票にはゆくべきと考えますので。「棄権:白紙委任状というもの」は出したくありません。

 怒りと落胆を抑えきれず、臨時号として出しました。

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2004.04.22

弱いものいじめの国・日本

 懸念していたことですが、先のイラク人質事件被害者に対しての「いじめ」がやみません。それも、政府から一般市民まで。
 PTSD:心的外傷後ストレス障害(※)にかかっていると、被害者を診察した医師は記者会見で述べました。公式には発表されていないものの、おそらくご家族や関係者の方々も精神的・肉体的疲労は極限まで達しているものと思います。
 それなのに、「自己責任」などという聞こえのよいことばで攻撃する人たちを、私は許せません。まさに「弱いものいじめの国・日本」といってよいでしょう。そこには、「主体性のなさ」というものも見えてきます。まるではやりもののように人をいじめてしまう危険な世の中です。
 思考を少しでも働かせることができれば、こんなおろかなことができるはずがありません。
 視点を変えれば、「初もの・新しいもの好き」と似ています。新しい娯楽施設に群がる人は「半年待てば混雑も落ち着くのに」と、まだ見過ごせますけど、いじめは見過ごせません。

(※)簡単にいえば、前触れもなく非日常的で極度に不安な状態におかれたとき起きる精神的な症状(恐怖感およびその再燃・無力感・ゆううつ感など)のこと。

 いじめと「無価値感」で、
「世の中に心の傷ついた人が多いことを如実に表していると、私は感じました。傷ついたその心を、どういやすか考えなければなりません。
 きっと、ひぼう中傷という罪深い行為をしている者も、心に深い傷を負っていることでしょう。」
と書きました。

 繰り返しになりますが、きっと弱いものいじめをする者も、どこか弱い部分を心に背負い、それを見たくないために世の中で注目されている人に対して陰湿なことを行っているのではないでしょうか。

 もう少し深く掘り下げてみます。
 日本では、人が生まれて物心が付いたころから常にあらゆる競争にさらされます。おうおうにして結果しか見てもらえません。私の嫌いなことばである「勝ち組・負け組」は端的にそれを言い表しています。
 そこには過程というものがありません。結果しかないのです。
 高度成長期のころは、それでもよかったのかもしれません。景気は常に右肩上がり、売り上げ目標も対前年比100パーセント以下なんて考えられなかった・・・。
 もう、そんな時代は終わっているのに、「勝ち・負け」という二分割的思考におちいるのはなぜなのでしょう。(しばしば私もおちいりますけど)

 多くの人は、時代が変わったということをわかっているでしょう。それなのに「勝つことは美徳」というある意味で危険な考えに至ってしまう。自分の無力さに向き合わない。
 そこで、弱いものをいじめて「自分は勝っている」と思いこみたいのではないかと、私は考えます。

 いじめは、「自分の心がこれだけ傷ついているから、おまえも傷つけ」という行為です。人として最低な手当ての方法です。自分の傷も治らなければ(隠すことはできたとしても)、他人(動植物であったり、無生物であっても)に新たな傷を負わせることになるのだから。インターネット上のひぼう中傷や、街の落書きも、「いじめ」という見方をすることができます。
 別な言い方をすれば、「自分の力を誇示したい」という間違ったやり方です。もっと安全に、もっと平和的に、もっと人が喜ぶようなやり方で、自分の力をあらわしてほしいものです。いじめは、その逆をいっています。

【きょうの波模様】
4月22日 晴れ 「しけ」
 連日体調がよくない。きのうまでは郵便局の人や交番の警察官が郵便配達や定期家庭訪問で家にきたときに起きたが、きょうはだれも来なかったため、夕方まで寝てしまった。

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2004.04.14

いじめと「無価値感」

 けさの中日新聞を読んで、心を痛めました。イラクにおける人質事件被害者の親族に対して、ひぼうや中傷が相次いでいるそうです。社会面のトップに載っています。
 記事中でも識者の談話が掲載されていますが、評論家の樋口恵子さんが次のような発言をされています。
(以下4月14日中日新聞朝刊から談話部分を引用)

 『憂さ晴らしをしたい人が、いじめやすい人を狙っている。目立つこと、自分にできないことへの一種のねたみだろうが、本当にひどい』

 世の中に心の傷ついた人が多いことを如実に表していると、私は感じました。傷ついたその心を、どういやすか考えなければなりません。
 きっと、ひぼう中傷という罪深い行為をしている者も、心に深い傷を負っていることでしょう。

 どうして、「ねたみ」でしか自分の心をいやせないのか。
 私もたびたび抱く感情ですが、「自分に価値がない」というもの。これに自分の心が支配されてしまい、ある人は押しつぶされ、またある人は反発する。

 いうまでもなく、ひぼう中傷は刑法の名誉毀損(きそん)罪や侮辱(ぶじょく)罪に当たります。犯罪行為でしか自分の心がいやせないとすれば、お互いに不幸なことです。
 「インターネットは自分の名前が出ない」からと、好き勝手に人の心を傷つける者がいます。傷つける者はいい憂さ晴らしの場所でしょうけれども、逆にあなたが傷つけられたときのことを考えていますか? こういった行為が続発すれば、自由に発言ができないという代償が私たちに及ぶかもしれません。「自分さえよければ」という考えが、心のどこかに潜んでいませんか?

 反社会的な行動しかできない者は、社会から追いやられます。そして、より深く「自分の価値のなさ」を味わうことでしょう。いつまでも、その悪循環から逃れることはできません。
 他人をいじめても、何も解決しません。自分の心の傷も、他人の心の痛みも。
 現状をどうしたら改善できるのか、自問自答したり、信頼できる人に相談したり、建設的に周囲と接してゆければ、きっと「自分の価値観」が見いだせると信じています。

【きょうの波模様】
4月14日 雨のち曇り 「多少の波」
 雨上がりに近くのスーパーへ買い出しに出かける。「マイバッグ」にたくさん食品を積み込んで、自転車置き場にカートで荷物を運んだところ、「たくさん買ったね。気をつけて帰りな」と警備員がカートを戻しながら声をかけてくれた。さりげない一言がうれしく感じた。

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2004.03.24

競技者から教わるもの、犯罪者に思うこと

 近頃大阪を中心として関西圏に縁がある私です。いま大相撲春場所と選抜高校野球がおこなわれています。
 この二つのイベントから学び取ったことがあります。

 それは、「ひたむきになれることは美しい」ということです。
 いっときの私は、どちらのイベントも好きでない時期がありました。
 視点を変えると、こんなに人の心を揺さぶるものはないと感じました。

 ・・・制限時間いっぱい。東西両力士がにらみ合い、仕切り線を越えた瞬間、体がぶつかる音が響く。瞬間的に両者は持てる最大の力を発揮し、土俵の上で技を繰り出す。実力派が「電車道」の貫禄(かんろく)を見せれば、(本場所が15日制になって、11日目終了時点で全勝力士が4人いることは初めてだとか)小兵力士が巨体力士を土俵際で投げ打つ。

 ・・・雨がそぼ降る甲子園球場。慎重にサイン交換をする投手と捕手。自慢の決め球が指から放たれる。わずかな時間ののち、鋭い金属音とともに打球が飛ぶ。外野手が芝生に飛び込む。ボールはとれたか、それとも芝生の上なのか。こんな光景が、この地で何度となく、再現し得ない一瞬の勝負が、多くの人の記憶に残り、人生をも変えてしまった。

 「ひたむきさ」がなければ、こんな光景が生まれることはないでしょう。

 いまに始まった話ではないのですが、得てして人間は楽をしたがるものです。
 しかし、現状はとても見過ごせることができない情勢になりました。特に金銭欲が異常に肥大し、社会的に不適切な行動を起こすものの存在には、怒りすら覚えます。
 「ヤミ金融」のビラは毎日のように投げ込まれ、法律で禁止された090金融のビラも相変わらず来ます。「オレオレ詐欺」は手口が巧妙化し、組織犯罪化しています。「援助交際」という言葉のすり替えでいやしく続く買売春もまたしかり。公的機関を装った「架空請求」も、雑草のようにはびこっています。

 そんなことまでして金がほしい。人間の持つ高等な知能を間違った方向に使ってまで。

 私は病気が原因で仕事を辞めて療養に専念していました。現在は仕事を探していますけど、これまで何社も不採用通知ばかり。それでもめげずに就職活動を続けられたのは、周囲のみなさまのおかげです。
 私の信条は、「お金は働いて得るもの」です。たまには気晴らしに、働いて得たお金で競馬場に行って(私は身分上学生なので馬券は買えないが)帰りの電車賃くらいもうかればいいかな。といっても、のめり込むたちなので、かけ事はいっさいやりませんけど。

 他人の心や体を傷つけてまで金がほしい者に、他人の支援や共感など得られるはずがない。そんな奴らには、即刻この社会から退場してほしい。
 「倫理の崩壊」という危険な状況が、足音をたてて近づいているように思えます。

【きょうの波模様】
3月24日 曇り一時雨 「べたなぎ」
 明日の面接に備えて履歴書を書く。自己紹介書とともにかかった時間は約一時間。
 この作業もこれきりにしたい。面接は気合いを入れていくと決意。その場では見えないけど、支えていただける人の恩に報いたいから。

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2004.03.15

忘れたころに架空請求

 月曜日とあって、郵便受けには何通か封書やはがきが到着していました。
 そのなかに、架空請求はがきが混じっていました。
 架空請求は周知が行き届いて、金融機関の口座が強制解約になったり、架空口座を売りさばいていた者が警察に逮捕されたりと、対策が進んできているのに、まだやっている者がいるんですね。
 仕事を失っているのに、「給与を差し押さえる」。「できるものならやってみろ」と、大爆笑させてもらいました。

 先ほどまでアルバイトの採用試験のために履歴書を書いていました。
 もう、何通この書類を作成したことか。インクのぼたもれに気をつけながら、万年筆を走らせました。

 地道に働く者が報われず、あくどいことをするやつがはびこる世の中はおかしい。
 そうやって、ひとりでも多くの人が声を上げないことには、治安も悪くなるし、倫理の崩壊も招きかねないし、ますます日本がおかしくなってしまいます。
 いっとき、「清貧」ということばがはやりました。やはり、一過性のものだったのでしょうか。
 「はやる」ということからして、「すたれる」ことにつながる。ここでも、日本人の悪いくせが出てしまったのでしょうか。

 それではいけないのです。失業者が偉そうなことをいうのも何ですが、地道に働いてこそ、あとで楽しいことが待っているはずです。それも、まっとうな仕事で。
 人を不幸におとしいれて得た金で、おいしい食事など食べられない。それはしょせん空虚なものです。

【きょうの波模様】
3月15日 晴れ 「多少の波」
 ゆうべは朝まで眠れなかった。反動で夕方まで眠くてたまらなかった。これではいけない。
 風邪もまだ治らず、若干鼻声。運動もしばらくやっていないので、体がなまってしまったようだ。

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