楽しみが義務になると・・・
ウェブログのライターが、増加するアクセスやそれにまつわるコメントの返事に疲れてしまう現象を取りあげたニュースを読みました。
読んだ記事は、こちらです。
(出典:Yahoo!ニュース-コンピュータ HOTWIRED JAPAN 2004年7月12日17時10分掲載 ブロガーに蔓延(まんえん)する「燃え尽き症候群」)
私は日記の代わりにこのウェブログを作成、更新しています。記事を読んで感じたのは、最初のうちは楽しみでやっていたのに、周囲の期待(それが本人の思いこみかもしれないし、実際にあるのかもしれないが)に応えようとするあまり、義務感を覚え重荷になってしまうのではないでしょうか。
記事中にある「燃え尽き症候群」とは、仕事や義務などに対して過度に順応したり、苦しいと思う気持ちを抑えつけ、苦しみさえ感じられずにいるうちに進行し、ほとんどの場合は突然いままでやってきたことを放り出すことを指します。
(記事から引用)
「書きたいか書きたくないかに関係なく、何か書き込まなくちゃいけないという気になる。」(引用終わり)
この一文は、楽しみが義務感に変わる様子をよく書き表しています。
これと同じような現象は、いまに始まったことではなく、繰り返し起きています。
電子メールは、現代人に欠かせない「道具」となりました。あくまで道具であり、手段であって目的ではありません。メールを送ること「だけ」にしか気を回せず、かんじんの内容は覚えていないという話も聞いたことがあります。
「文章を書く」という仕組みそのものが変容し、同時に「文章」そのものが変化したことは事実です。
こうして私が文章を書いているのは、一種自己満足もあります。しかし、私の考えを明らかにするには有意義な「手段」であると考えています。
それが「目的」に変質したとき、私の書き込みはとだえてしまうでしょう。
楽しみが義務になったとき、人は苦しさを感じます。「趣味を仕事にする」と「仕事を趣味にする」は、似ているようで大きく違います。
この主題は、継続して考えてゆきます。
野球のことを書きたかったのですけど、さらに書けば長くなるのであすに回します。
【きょうの波模様】
7月12日 曇り 「べたなぎ」
他人の痛みを自分の痛みとして考えられる人はすばらしい。一日それをかみしめながら過ごせた。教えていただいたみなさんに感謝します。
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