料理の煮込みと議論はじっくりと
パ・リーグのファンにとって、木曜日の夜は思いをめぐらせるときでもあります。
バファローズの経営問題が、いつのまにか「1リーグ制」という議論になってしまった気がします。
これに限らず、最近の日本人がやたらと「結論を早くほしがる」ところから、議論がおかしな方向へ進んだり、議論どころか結論が先に決められて、あとから理由づけのために会議を開くというような、こっけいな話があったりします。
なにかにつけて、大事な話なのにじっくり考えたり、議論を深めたりという時間や労力のかかることをいやがり、たとえるならシチューを家で食べるときに材料を買って家で調理するのではなく、できあがったものを調達するようなことを平気でやっています。
シチューなら、まだ大きな問題になりませんけど・・・。
これが社会の仕組みやあり方を変えてしまうような話だとすれば、ものすごく怖いことです。
冒頭に書いた「バファローズの経営問題」。これはひとつのプロ野球チームの経営状態が悪化し、現状をよい方向に変えるために別の球団(ブルーウエーブ)へ助けを求めたのがはじまりです。それが、どういうわけか問題点がすり替わり、野球界全体を根底から変えてしまうほどの大問題へ発展させてしまいました。
政治にしても、重要なことがらを主権者である国民に十分な説明をしないまま変えたり、新しくしたりしています。
二つの問題の共通点は、「多数のファン=国民」を置き去りにし、一部の人だけで勝手に事を運んでいる。ここにあります。「それはおかしい」という声は、実力者たちの耳に届かず、もっと大きな声にかき消されてしまいそうです。
なぜ、結論を急ぎたがるのでしょうか。
準備運動をしっかりやらずに運動すれば、体がけがをすることは知っています。
議論も、それと同じではないでしょうか。準備をしっかりと行い、議論を尽くしてこそ、多くの人に受け入れられる結論が出るはずです。
じっくり煮込んだシチューはおいしいです。煮詰めて熟成した味は、多くの人を幸せにします。
じっくり話し合って得られた結論は、多くの人を納得させます。
料理だって、すべての人に受け入れられるわけではありません。議論もまたしかり。
しかし結果(できあがった料理)を急ぐあまり、半端な議論でえられた結論(半煮えのシチュー)をもたらされる(食べさせられる)のは、おいしくないし、問題(たとえば食あたり)を起こすかもしれません。
どうか、結論を急がないでください。
間違った方向へものごとが動かないように耳目を傾けることを、私たちは求められています。それが、世の中を明るくする力になります。
社会に対する無関心が、とんでもない結果を招きます。
私たちは、かしこいはず。私たちも一度立ち止まり、考えて行動すれば、流れは変わります。それは、現状よりよい方向へ。
【きょうの波模様】
6月17日 曇り一時晴れ 「なぎ」
新しい仕事の採用試験があさってに迫り、だんだん緊張してきた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント